「紀伊半島680km、+2.7km」(4) [旅行記]

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御坊駅駅舎。


和歌山駅を出るといよいよ紀勢線。遅れていることもあって最高速度110km/hで飛ばす…のだが、ガタガタと揺れが酷い。振り子式車両のなせる業か。これでは酔っている隙はない。

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「紀伊半島680km、+2.7km」(3) [旅行記]

特急くろしお3号に充当されていた381系D603編成は、新宮側から
・クロ380-5 (1号車・グリーン車)
・モハ380-33(2号車・自由席)
・モハ381-33(3号車・自由席)
・モハ380-31(4号車・指定席)
・モハ381-31(5号車・指定席)
・クハ381-503(6号車・指定席)
という6両編成だ。先頭はパノラマグリーン車のクロ380形0番台。最後尾のクハ381形500番台は、繁忙期に付属編成(3連)を連結するために電気連結器を備える。どちらも“スーパーくろしお”編成用の特殊仕様である。

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グリーン車の座席(1列側)。

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「紀伊半島680km、+2.7km」(2) [旅行記]

【2. くろしお3号 新大阪→御坊 130.7km】
次に乗車するのは、京都発新宮行きの特急くろしお3号。この「くろしお」は、今年3月の改正で、車両によって分けられていた「くろしお」「スーパーくろしお」「オーシャンアロー」の3列車を統合して誕生した。3号は改正前は「スーパーくろしお3号」として運転されていた列車であって、車両は“スーパー”時代と変わらず381系の、パノラマグリーン車を連結する編成である。

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今回乗車した「くろしお3号」(381系D603編成)。御坊駅にて。

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「紀伊半島680km、+2.7km」(1) [旅行記]

久々の旅行記。撮りと乗りの兼用ながら、久しぶりの「旅行」となった。2012年10月1日(月)、2日(火)の2日間かけて、名古屋駅を起点に紀伊半島を一周した、その記録。

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今回の主役(?)、特急くろしお(写真は381系D605編成)。
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【1. ひかり495号 名古屋→新大阪 173.4km】

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東北旅行記8. 「追悼の日」 [旅行記]

2012年3月11日(日)。

宮古駅。JRのホームの片隅に、連絡改札口がある。そこを抜けると三陸鉄道のホーム。宮古と久慈を結ぶ北リアス線の列車が出発を待っていた。しかし、行き先は久慈ではなく途中の小本駅――北リアス線は、途中の区間が不通で分断されているのだ。不通の理由が、私をして今日ここに立たしめる所以である。

2両編成の列車に乗込むと、報道陣がいる。後で調べたことだが、どうやら日テレ系が中継をしていたらしい。彼らとともに宮古駅を出発。13:10発。「北リアス線」という名称ながら、宮古から先は海岸線から離れた山の中。特段の違和感はない。しかし。北リアス線が初めて海岸に近い集落に出る。覚悟はしていたが想像を遥かに超える光景である、田老駅に着くと。13:32田老駅着。

ホームは高架上なので昔日と変わらぬ様子。ホームから階段を下って通路を抜け、出口から外へ出る。駅前には駐輪場があった――残るのは骨の上屋だけだが。


駅の周囲は宮古市田老地区。私が長々蜿蜒とその光景を描写するより、一枚の写真で十分なのだろう。

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雪が舞う中、およそ1時間、田老地区を歩いていた。宮古から田老まで乗ってきた列車が終点小本から折り返してくるので、それに乗る。田老14:30発。車内にいた子供たちが明るい。列車は一の渡駅からのトンネルを飛ばして、次の山口団地駅に予定より早く到着。3月11日14時46分のその時間は、山口団地駅に停車中であった。乗客一同、海に向って黙祷。

宮古14:52着。盛岡から乗ってきたJR山田線は盛岡から宮古経由で釜石へと至る路線だが、海岸線を走る宮古・釜石間は運休中。閉伊川にかかる鉄橋が落ちている、その現場まで出向いて、復旧後の再訪を誓った。

東北旅行記9. 「はやぶさ」 [旅行記]

筆遅し。No.8を飛ばして先にNo.9。

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宮古15:53発の山田線普通で、来た道を盛岡へと戻る。車両は往路と同じキハ111-114+キハ112-114だが、2両編成で往路はくっついていたキハ110-138は残留したらしい。車内は予想通り往路より多いのにも拘らず、である。居眠りしながら盛岡までの2時間を過すが、退屈極まりない。往路と同様雪で徐行したらしく、2分遅れて盛岡18:02着。

盛岡で1時間休憩をとって、「はやぶさ6号」に乗込む。初期の計画では起点新青森から乗りとおす予定であったが、盛岡からに。19:04発。20分前に「はやて38号」が出たのにもかかわらず、乗車率は高めで驚く。おかげで座席の写真を取れずじまいで、いつかのリベンジが必要になってしまった。車両はE5系U2編成がやってきた。

窓側の座席を確保できたものの外は既に暗い。暇つぶしに、iPhoneで現在地を確認しつつ、駅の通過時刻を測ってみた。仙台まで、結果は概ね以下の時間であった。
・19:04発 - 盛岡
・19:13通 - 新花巻
・19:16通 - 北上
・19:20通 - 水沢江刺
・19:25通 - 一ノ関
・19:30通 - くりこま高原
・19:35通 - 古川
・19:47着 - 仙台
盛岡~仙台間171.1kmを43分で走破するのだから平均速度は238.7km/hなどと算出してみる。両端をのぞいた新花巻~古川間99.3kmは22分、速度は270.8km/hと出る。最高速度300km/hを出しっぱなしではないなどと判る。なるほど。

仙台以降も同様に通過時間を計測して暇つぶし(さらに細かくなって秒単位で計測した暇さ加減である)。
・19:49発 - 仙台
・20:01通 - 白石蔵王
・20:07通 - 福島
・20:16通 - 郡山
・20:23通 - 新白河
・20:29通 - 那須塩原
・20:38通 - 宇都宮
・20:45通 - 小山
・20:58着 - 大宮
・21:00発 - 大宮
・21:19通 - 上野
・21:24着 - 東京
仙台~大宮間は294.1km。69.5分で走破したので、平均速度は253.9km/hと出る。最高速度は宇都宮以南は300km/hではなく275km/h。ということで福島~宇都宮間だけを見ると平均282.8km/hとほぼ最高速度で走ったことが判る。最後の大宮~東京間は110km/h制限なので新幹線らしくない(それでも十分速いが)スピード。

上記の通り東京駅には21:24着。名古屋行きの東海道新幹線は22:00発の「ひかり533号」(名古屋23:49着)が最終だが、それよりも1本前の便に乗りたいがために東京駅を疾風の如く駆け抜ける。多大な代償を払いつつも(体力がないゆえ)、乗り継ぎ時間が僅か6分しかない「ひかり531号」に乗車成功。無事、東京を21:30発。品川あたりまで反動で息を切らしていたが…。

名古屋23:24着。こうして総延長2580.8km(営業キロベース)の東北遠征は無事に終了したのであった。

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後日撮影のE5系(ただし「はやて」)。

東北旅行記7. 「山田線」 [旅行記]

続いて八戸10:06発の「はやて20号」に乗り込む。E2系J12編成が当り、前日のJ73編成との内装の格差に落胆。iPhone充電のためのコンセントを期待していたのだが…。盛岡10:35着。

盛岡駅構内で少し撮影して回って、山田線に乗車。宮古行きの快速「リアス」で、車両は堂々の3両編成、キハ111-114+キハ112-114+キハ110-138であった。盛岡11:04発。車内は約50人。

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盛岡駅で出発を待つ快速「リアス」。

山田線の盛岡~宮古間は、北上川流域に広がる盛岡盆地に位置する盛岡から、北上山地を横断して三陸海岸の宮古に達する区間である。沿線はほぼ山の中。盛岡駅を出発すると東へと曲がり、盛岡市郊外の住宅地を走り抜ける。2つ先の山岸駅を過ぎると住宅地が途切れ山越え区間がスタート。車窓の両側に山が迫ってくる。次の上米内駅で盛岡行きの快速「リアス」と交換。駅を出ると本格的に山に突入。人家のない、米内川沿いの沢を登っていく。上米内駅の標高が約200m、区界駅が約750mのようなので、上米内~区界間の25.7kmで約550m登る計算。平均勾配は21‰、と出る。

さて線路は綺麗な「S字」を描いている、その区間を抜けると大志田駅。いわゆる「秘境駅」で、駅のある集落(浅岸字大志田)の人口はわずか3人だとか。長いトンネルで米内川流域から中津川流域へ移る。勾配の途中にこれまた「秘境駅」の浅岸駅が淋しく建つ。ここの集落(新庄字中津川)は人口9人。両駅の1日の乗客や如何に。

長いトンネルを2つ抜けて区界峠を過ぎるとすぐに区界駅に到着。上米内駅以来久々の停車駅だ。区界周辺では両側に広がる山はなだらかで、視界が開けている。しかし松草駅を過ぎれば再び山が迫る谷に逆戻り。閉伊川沿いを下っていく。20‰程度の勾配があるようだが、下り勾配なので楽々、惰性で淡々と下っていく。2つ先の川内駅を過ぎたあたりから谷の幅が若干広くなり、勾配も10‰程度までゆるくなる。そのまま下っていくと茂市駅。岩泉線との分岐点だが同線は運休中、最近廃止が決まったという。乗らずじまいだ。

茂市駅を過ぎれば勾配はさらにゆるくなり、徐々に民家が増えていく。ロードサイドショップも増え、宮古の街に近づいていることがよく判る。そして住宅地に入れば終点の宮古駅が見えてくる。宮古13:06着。雪で徐行していたらしく、3分遅れた。


(カメラに入れてあるCFの容量が極限に迫っていたため、車窓は一切撮影せず。とほほ)

東北旅行記6. 「十鉄」 [旅行記]

いろいろあってすっかり遅くなってしまった。これでは来年まで待った方が、な感。とりあえず続き。

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3月11日(日)。早起き(当社比)して八戸駅へ戻り、旧JR東北本線の青い森鉄道に乗り込む。八戸06:56発・三戸始発青森行き快速501M、車両は青い森鉄道所属の701系第3編成。乗客はごく僅か。100km/hで15分間、雪原が広がるだけの淋しい土地を突き進む。途中停車はなく三沢駅に07:10着。ここで下車。

3月末で廃止になる十和田観光電鉄(十鉄)に乗るべく三沢駅へ来たのである。改札を出て、十鉄の三沢駅へと移動。ここでようやく、ある重大な事に気付く。予定していた列車の出発時刻と、改札口に掲示してある次発列車の出発時刻が、若干ずれている。...「!」。平日ダイヤ・土休日ダイヤがあることを完全に忘れていたのである。無論、土休日ダイヤの方が列車は少ない。そして今日は日曜日...。この壮大な勘違いの帰結は、途中下車できなくなる、つまり七百駅の車庫を観察する時間がなくなる、という実に惜しい事態であった。

三沢駅07:27発。車内の乗客は名残乗車で4人水増しされており、実質7人(たぶん)。列車は雪の積もる中を走っていく。沿線で撮影したらきっと絵になるだろう。次の大曲駅で3人乗車。七百駅でも1人。車庫には古い車両と電機が留置してあり、下車できないのが実に惜しい。

線路沿いを見ると道路がほぼ全線にわたり併走しており、なるほどバス転換は容易であろう。高校があるのが駅名でわかる三農高前と工業高校前でそれぞれ2人、1人下車。ということでただホームに停車するだけの駅が5。十和田市駅には12人の乗客で到着した。十和田市駅はホームに繋がる橋で道路(と水路)を渡って駅ビルへという不思議な構造。商業施設の2階部分が駅になっていた。駅をハイスピードで一周して、ホームへ戻る。

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十和田市駅。

到着から10分後の折り返し列車で出発、十和田市08:05発。車内は通学生が混ざり繁盛した様子。数えれば30人。次のひがし野団地駅で2人、北里大学前駅で3人追加。そして三農高前駅で一挙に14人下車し、車内は21人。続いて次の古里駅で2人下車、1人乗車。七百駅でも2人下車、1人乗車。柳沢駅で4人乗車、大曲駅で2人下車。というわけで三沢駅には乗客20人で到着。意外と乗客が多いのは、そういう時間にあたったのか、それとも名残組みが多数隠れているのか。三沢08:32着。その後09:00発十和田市行きの列車を見送って十和田観光電鉄から去る。

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十和田市駅へと向う列車。三沢駅近くにて。

青い森鉄道に戻り、三沢09:23発。列車はJR大湊線直通の快速「しもきた」で、キハ100-203+204。車内は混雑しているので、車両前方に“かぶりついて”、330PSエンジンの唸りと100km/hの走りを楽しむ。終点八戸09:39着。

東北旅行記5. 「弘前→八戸」 [旅行記]

弘前の街は、一面の雪…なはずはないが、歩道に雪が積まれている程度に雪が残っている状態。駅前からバスに乗って、一路弘前城へ。

城内は一面の雪、といっても大袈裟ではない。除雪はされないようなので、歩くのに一苦労だ。城内北側の広場(?)は雪原になっていた。雪のままならいいが、融けつつある、ということで雪の薄い場所はグチャグチャ。歩きにくいことこの上ない。弘前城は天守、櫓3棟、門5棟が重要文化財だそうで、すべて見て回る。小ぶりの天守は、見慣れた堀側からのアングルではなく、逆から見るとただの櫓に見える。

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城から駅へは徒歩で戻る。途中、中央弘前駅に立ち寄る。ここは弘南鉄道大鰐線の起点。終点大鰐まで乗ることもできたが(大鰐からJRで弘前へ)、弘前城の雪と苦闘していたせいで時間がなくなっていた。駅のストーブで暖を取ってからリスタート。1.5kmほどさらに歩いたが、遠回りだったことを後で知る。


弘前駅で小休止の後、青森県を横断する大移動開始。まずは、特急「つがる53号」に乗り込む。弘前17:35発。大館発青森行きの中途半端に見える特急列車で、需要あるのかと思えたものだが、弘前からの乗客も多い、そして車内にいた乗客も多い。

車両は、所定のE751系ではなく予備車なのか485系3000番台の4両編成。1号車側からクロハ481-3021・モハ485-3049・モハ484-3049・クハ481-3005であった。例の如く車内を巡ると、1号車の半室グリーン車は2+2×4列の定員16人に対して乗客0、普通車指定席は2+2×9列の定員36人に対し乗客3人。2号車指定席は2+2×18列で定員72人、乗客9人。3号車自由席は2+2×16列で定員64人、乗客17人。4号車自由席も定員64人で、乗客22人。自由席偏重なのは短距離列車故だろうか。乗客計51人で乗車率は20%だが、自由席だけなら30%。

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新青森駅18:03着。先発の東京行き「はやぶさ6号」を見送っての出発となるので、余裕の接続時間がある。乗るのは18:28発「はやて40号」。待っていたのはE2系J73編成で、2010年増備組の1本。コンセントがあったりと仕様が変更されているのが判る。「はやて」は全車指定席だが、自由席のある「やまびこ」を運転しない新青森~盛岡は特定特急券で乗車可、空いている席ならば座れるのだが、デッキで立つ人が多いのは着席可が周知されていないのか、指定席には座りにくいからなのか。

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E2系J編成の座席。車両によって、シートの色が紫系、グレー系に分かれる。

七戸十和田駅にも停車して八戸18:56着。駅直結のホテルメッツで1泊することに。

東北旅行記4. 「五能線 (2)」 [旅行記]

東八森駅を過ぎるころから五能線は海に接近、日本海の海岸線を北上していく。時々併走する国道よりも海側へ出る。そうすれば車窓は一面海。天気は快晴、水平線まではっきり見える。時々荒削りの赤い地表がむき出しの海岸など、景勝地が点在しており車窓は見飽きることがない。

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五能線の車窓から。

秋田県側ではあきた白神、岩館と停車するが、まだシーズンには早いのだろう、降りる乗客はなし。駅の出迎えがなんだか淋しい。青森県に入って十二湖、ウェスパ椿山と停車。ウェスパ椿山駅では温泉帰りなのか観光客を乗せて出発。久々に大きな町に入ると深浦駅だ。深浦駅では小休止、対向列車を待つ。対向列車は「リゾートしらかみ2号」、上記の「青池」編成なので、当然の如く車外に出て迎え撃つ。

深浦10:58発。車内を回ると1号車12人、2号車23人、3号車9人、4号車12人、計56人で乗車率37%にUP。しばらくすると有名な千畳敷があるが、これは国道が海岸側にあるので国道からの方が見やすいのだろう。海の向こうに見える陸地は北海道…と思いきや津軽半島との由。北海道は残念ながら判然としないままであった。北金ヶ沢駅で運転停車し、深浦行きの普通と交換。町に再び出ると鯵ヶ沢駅に到着。そして11:43発。

鯵ヶ沢で日本海とはお別れ、津軽半島の付け根の部分を東へ横切る。津軽富士こと岩木山もよく見える。...とここからBGMが流れ車内は賑やかに。五所川原駅までの間、津軽三味線の生演奏タイムだ。演奏は1号車だが、全車両に流れるようになっている。津軽三味線の音とともに陸奥森田、木造と停車していく。演奏が終ると五所川原駅に到着。降車客が多く、ホームは賑やかに。乗車客もいるようだ。

陸奥鶴田、板柳と停車して五能線の終点川部駅に到着。2度目の方向転換で乗車中の4号車が再び先頭になる。車内からホームを眺めていると、駅舎側の1番線に弘前方面行きの列車が滑り込んできて、そして発車する。ということで弘前駅にはこの列車に乗り換えた方が5分先着なのだが、ここにきてそんなケチなことはしない。

弘前駅に到着するまでの間に、最後の車内チェック。1号車12人、2号車11人、3号車15人、4号車16人、計54人で乗車率36%。2号車ボックス席の減りが著しいが、どこで降りたのだろう。いかにも観光風だから五所川原駅で、津軽鉄道に乗り換えたのだろうか。

弘前12:47着。ここでようやく下車する。やはり下車が多いが、入れ替わりで乗車客もいる。新青森駅で東京行き新幹線「はやて」に接続するので、弘前からの需要もあるのだろう。「リゾートしらかみ」は弘前を12:52に出発、終点の青森駅へと向っていった。

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五能線のキハ40形。東能代駅。

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