東北旅行記8. 「追悼の日」 [旅行記]

2012年3月11日(日)。

宮古駅。JRのホームの片隅に、連絡改札口がある。そこを抜けると三陸鉄道のホーム。宮古と久慈を結ぶ北リアス線の列車が出発を待っていた。しかし、行き先は久慈ではなく途中の小本駅――北リアス線は、途中の区間が不通で分断されているのだ。不通の理由が、私をして今日ここに立たしめる所以である。

2両編成の列車に乗込むと、報道陣がいる。後で調べたことだが、どうやら日テレ系が中継をしていたらしい。彼らとともに宮古駅を出発。13:10発。「北リアス線」という名称ながら、宮古から先は海岸線から離れた山の中。特段の違和感はない。しかし。北リアス線が初めて海岸に近い集落に出る。覚悟はしていたが想像を遥かに超える光景である、田老駅に着くと。13:32田老駅着。

ホームは高架上なので昔日と変わらぬ様子。ホームから階段を下って通路を抜け、出口から外へ出る。駅前には駐輪場があった――残るのは骨の上屋だけだが。


駅の周囲は宮古市田老地区。私が長々蜿蜒とその光景を描写するより、一枚の写真で十分なのだろう。

0311.JPG

雪が舞う中、およそ1時間、田老地区を歩いていた。宮古から田老まで乗ってきた列車が終点小本から折り返してくるので、それに乗る。田老14:30発。車内にいた子供たちが明るい。列車は一の渡駅からのトンネルを飛ばして、次の山口団地駅に予定より早く到着。3月11日14時46分のその時間は、山口団地駅に停車中であった。乗客一同、海に向って黙祷。

宮古14:52着。盛岡から乗ってきたJR山田線は盛岡から宮古経由で釜石へと至る路線だが、海岸線を走る宮古・釜石間は運休中。閉伊川にかかる鉄橋が落ちている、その現場まで出向いて、復旧後の再訪を誓った。

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