「中国 661.4km」 (10) [旅行記]

因美線への寄り道から戻って姫新線を再開。津山発佐用行の2832Dは、まさか同じ車両が折り返すとは思わず、一旦降りてしまったため座れなくなった。それほど通学輸送で混雑していたということだが、この後かくも疲労するはめになるとは思わなかった。16:31発。次の東津山駅で早速佐用発津山行き2831Dと交換。ここでは乗降ともに多数なのに、次の美作大崎駅では動きがまったくなく拍子抜けする。勝央町に入り西勝間田駅で数人、勝間田駅では多数下車していった。乗車も多数とはいえ混雑は緩和するが、高校生に囲まれてボックス席に座る気にはならずまだ立たされている。外も夕暮れになってきていたが、疲れがいよいよ回ってきて車窓を愛でる余裕がなくなっている。勝間田で3分停車し美作江見発津山行き1881Dと交換。

美作市の中心地・林野駅では大量下車(若干乗車)があり混雑はさらに緩和。楢原駅・美作江見駅と下車があり、岡山・兵庫県境手前の土居駅で学生はほぼ一掃された。車内は20数人で、一応座れた。高規格な智頭急行が見えると終点佐用駅、17:31着。外は随分と暗くなっている。


姫路中心だからこの時間帯は流れと逆では、という予測は佐用駅ですぐに粉砕された。姫路行き870Dとして待っていたのはキハ40-2005、ということは単行運転である。乗り換え客を追加したせいで、車内は最初から大混雑となりドア付近に立たされるはめになった。こうなってしまってはもはや車窓を楽しむ余裕すらなく、時間とともにイライラが募るばかりである。時々交換するキハ127の2連が実に羨ましいことこの上ない。

予想を粉砕し続けて姫路に近づくにつれて乗客が増え続ける。たつの市中心地の本竜野駅で混雑が最大化し、すし詰め状態へと悪化。キハ40単行入れるのは間違っている、とストレスが頂点に達する。その状態で20分我慢して姫路駅に18:38着。ホームへと押し出される。


姫路に帰還したため、中国東部一周は一応は終了。津山から2時間近くほとんど立ちっぱなしという悪条件のためそんなことを考える余裕すらなくなっていた。姫路駅の雑踏でストレスが緩和されることはなく、一時新幹線に乗ろうかと本気で考えるが、財布を見てわれに返る。そうしておとなしく姫路発長浜行の新快速・18:57発3522Mに乗り込むと、無事席を確保できて一安心。車両は223系W39編成。仮眠と読書で車中を過し、米原21:25頃着。

ダイヤが乱れていたのか、おそらく一本前の244Fになっていたのだろう。車両がJR東海所属ではなく223系V22編成であった。246Fのスジで動き、21:28頃米原発、大垣22:02頃着。最後の豊橋行快速2548Fは313系Y103編成で22:09発。疲れ果てて22:41、名古屋駅に到着した。


毎度18きっぷの旅は疲れ果てて帰名するのが常だが、今回は尋常ではなかった。そして毎度、「18きっぷはキツイ」と反省するのだが、しばらくすれば漂泊の思いがやってくるのである...。困ったものだ。

(また文章だけになってしまった。反省)

タグ:JR西日本
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