「鵜殿貨物」研究 [研究室]

今年ラストにして突然のポスト。

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紀州製紙のスイッチャー(2007年12月23日)
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紀伊半島を半周する紀勢本線、そのうち東側にあたる三重県内の津~鵜殿間には1日1往復ながら貨物列車が走っている。2012年3月改正時点では2089/2088列車(稲沢~鵜殿間で運行)と名乗るその貨物列車は、数年前まではDD51形ディーゼル機関車の重連運転で人気だった列車だ。通称「鵜殿貨物」。コンテナを満載したコンテナ車を連ねて、鵜殿駅に線路が繋がる製紙工場―北越紀州製紙(株)紀州工場という。個人的には、2009年までの旧社名「紀州製紙」の方がピンと来る―から製品を輸送するのを、主な役割とする列車である。

三重県内の貨物ターミナル駅は、関西本線の四日市駅と言えるだろう。ここまでは貨物列車の本数は多い。この“幹線”から外れて、鵜殿貨物は伊勢鉄道伊勢線・紀勢本線を経由して長駆鵜殿駅までやってくる。四日市駅から鵜殿駅までは約200km。これだけの距離を一社の荷主のために走るのである。輸送効率が良いとは言えない……と思っていたら、来春の改正、すなわち2013年3月16日(土)の改正で廃止されるやもしれないという話を耳にしてしまった。

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鵜殿駅のある三重県南端の町・南牟婁郡紀宝町と、熊野川の対岸にある和歌山県新宮市は製紙業が発展した地域で、本州製紙熊野工場(1912年~、新宮市蓬莱)、巴川製紙所新宮工場(1938年~、新宮市佐野)、紀州製紙紀州工場(1951年~、紀宝町鵜殿)と3つの製紙工場が稼動していた。3社の名前は1970年(昭和45年)版の「全国専用線一覧表」(『トワイライトゾーンMANUAL』12)で、紀勢本線の熊野地駅(新宮駅から伸びていた1.5kmの貨物支線の終端)、紀伊佐野駅、鵜殿駅の欄にそれぞれ出ているので、この時点では3工場いずれも鉄道輸送を行っていたようだ。

国鉄末期の1982年11月改正で熊野地駅は廃止されたので本州製紙熊野工場の鉄道輸送はこれで終了したと考えていいだろう。87年4月のJR貨物発足時点では紀伊佐野(巴川)・鵜殿(紀州)の両駅を発着する貨物列車があり、稲沢~紀伊佐野間で運転されていた。DD51形の重連でワム80000形貨車20両前後、タキ5450形(塩素輸送用)タンク車数両を牽引し、最後尾にヨ8000形車掌車が付く、という編成であった。このあたりの経緯は『鉄道ファン』2008年11月号の記事に詳しい。

同記事によれば1994年9月にワム80000形による輸送からコンテナ車による輸送に変わった。コンテナ車は鵜殿発着が7両、紀伊佐野発着が2両であった。しかし後者の連結は1995年に廃止される。荷主である巴川製紙所新宮工場が同年6月に閉鎖されたためであった。さらに2000年3月に本州製紙(当時は合併で王子製紙)熊野工場が閉鎖されたため、新宮周辺で唯一操業を続ける製紙工場と唯一運転を続ける貨物列車、という組み合わせになってしまった。この後、2000年8月に車掌車の連結を停止、2002年3月にはタンク車の連結を終了した。

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「鵜殿貨物」はDD51形重連とコンテナ車7両、という安定した(?)陣容がしばらく続く。配線の都合からか、稲沢~鵜殿間を、稲沢駅→亀山駅でスイッチバック→鵜殿駅を一旦通過して新宮駅で機回し→鵜殿駅へ(逆も同じ)、という非効率なルートで運行されていたが、2008年3月改正で四日市~津間をショートカットする伊勢鉄道経由に切り替えられて亀山駅でのスイッチバックを解消、同時に新宮駅の経由もなくなって効率化された。同改正を機にDD51形重連から単機による牽引に変わっている。

この08年のダイヤ改正は、牽引機を重連から単機に変更し、走行距離も短縮することでコスト削減を目指したもの、と容易に想像できよう。存続に向けて“前向き”な施策が行われている―この時はそう思っていたのだが。

来春の貨物時刻表を入手しないと確実なことは言えないが、先日、JR貨物の労組「日本貨物鉄道労働組合」のWebで鵜殿をオフレール・ステーション (ORS) 化する、つまり鉄道輸送を廃止しトラック便による輸送に転換する旨が来春の改正に盛り込まれていることが発表された(PDF)。『中日新聞』三重版でも鉄道輸送の「廃止」が報道されたらしい(未確認)。荷主の北越紀州製紙は、「貨物線のダイヤ見直しにより、既存の物流拠点が利用しにくくなる可能性」があることから新宮港に倉庫を新設して一部の鉄道輸送を船舶輸送へと振り替えると発表した(12月18日付『日刊工業新聞』)。情報を総合するとどうやら、鵜殿駅発着の鉄道輸送は廃止、四日市駅(筆者推測)発着で鉄道輸送自体は存続するものの、残りは船舶輸送に切り替えられる、ということであろう。

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もっとも、「鵜殿貨物」は早晩廃止される運命にあることは予想していた。コンテナ車わずか7両、5トンコンテナ計35個という輸送量は鉄道輸送にしては少ない。伸び悩む製紙業界の中で紀州工場の生産量が伸びるとも思えず、貨物の輸送量が伸びるとは思えない。他の荷主が確保できるということもなかろう。そして、この非効率に思える輸送が長く維持されてきた理由が、紀伊半島の道路事情の悪さにあるとすれば、それが解消されたとき鉄道輸送の命脈は尽きると予想されるのである。実際、紀伊半島では紀勢自動車道が着々と南下している。現時点では紀勢大内山ICまでだが、今年度内に峠を下って紀伊長島まで開通、来年度には尾鷲まで全通する予定であるという。尾鷲以南は来年度に熊野尾鷲道路が熊野市内の大泊まで開通予定。紀宝町までは達しないものの、大泊までは20km程度に過ぎない。トラック輸送の利便性は向上するであろう。

鵜殿駅の貨物取扱量(2010年度)は発送53,725トン、到着13,970トン(『三重県統計書』)である。5トンコンテナで換算すると発送量はコンテナ10,745個。列車は5個積みコンテナ車7両編成なので、1日35個。年間10,745個は丁度307日分になる。荷主の北越紀州製紙では新潟工場でも専用線を用いた鉄道輸送を行っているが、その専用線が繋がる焼島駅における貨物取扱量(2010年度)は発送だけでも約2.5倍の131,634トンである。焼島駅は近年設備増強も行われて益々盛業中である。これに対し、廃止が予定される鵜殿駅の取扱量はかくも少ない。ちなみに、同様に製紙会社を荷主とし2012年3月に貨物輸送を廃止した岳南鉄道の発送量でさえ、鵜殿駅より多い62,207トンであった(2010年度、岳南原田駅・比奈駅合計。『富士市統計書』)。

1日あたり35個のコンテナを輸送するとなると、コンテナ3個積みのトレーラーでも12台が必要か…と思っていたが船舶輸送が主体になるような雰囲気ではある。トラック便は1日3往復と仮定すると、コンテナ3個積みトレーラーで1日あたり5トンコンテナ9個の発送になる。これに300日を掛けると、年間の取扱量は発送だけで約13,500トン(すべて根拠のない推測)。いずれにせよ鵜殿駅(鵜殿ORS)の貨物取扱量は大幅に落ち込むことは避けられないし、紀勢線における貨物列車の廃止を残念に思うものではあるが、何等かの形で鉄道輸送が残って欲しいと思うばかりである。

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